第7回授業では、パブリック・スピーチ、プレゼンテーションのお手本として『視点・論点』と『時論公論』を取り上げた。大学生にどちらを学んでほしいかといえば、『時論公論』だ。この番組を担当する解説委員は本当に楽しそうにプレゼンテーションを行っている。時事問題に少しでも興味を持ってもらいたいという強い意思が伝わってくる。10分の番組を見ているとこちらも楽しくなる。すべての大学生は、だまされたと思って暇つぶしをかねて『時論公論』を見てほしい。話題の提示と広げ方、聴衆を引きつける話術、堂々とした態度、聞き取りやすい声量と発音、冒頭のあいさつからクロージングに至るまでの型通りだが安心感・安定感のある進行と展開...これらに注目して『時論公論』を見てほしい。そして、自分でもできそうなこと、うまく真似できそうなことを見つけ出してほしい。スピーチやプレゼンテーションのお手本として私が参考にしているのは以下の3名の解説委員だ。
なお、『時論公論』のプレゼンテーション資料はあまりにも高品質すぎるので、大学生は真似しなくてもよい。
先日とあるドキュメンタリー映画を見たあと、プロデューサーを交えたトークイベントに参加した。時間は30分くらいだったと思う。プロデューサーが参加することは事前に告知されていた。だから、プロデューサーと実際に話してみたい、プロデューサーに自分の意見をぶつけてみたいと意気込んで映画を見に来た人もいただろう。一方の私は、トークイベントが開催されることは私はまったく知らなかった(だから、かなりお得な気分になった)。
トークイベントはプロデューサーの製作秘話から始まった。映画製作の意図、企画段階での議論、撮影でのトラブル、社会問題を扱うことの難しさ、そのほかにもさまざまな裏話が披露された。映画そのものが面白かったこともあり、実際の企画・製作者の立場から話を聞くことができたのはとても貴重な体験だった。
続いて質疑応答が行われた。はじめの質問者は、映画の主人公の描かれ方が偏っていることについて問題提起をした。とても重要な問題提起だと思った。強い信念と揺るぎのない自説にもとづいた発言をプロデューサーと聴衆にぶつけたい(そして自説を認めてもらいたい、受け入れてもらいたい)という強い思い入れがあったのだと思う。一方で、問題提起は明らかに冗長だった。問題提起は10分近く続いたはずだ。率直に言えば、迷惑でうんざりするものだった。10分近く続いた問題提起にプロデューサーも真摯に応えたので、はじめの質疑応答だけで20分近くの時間が費やされた。
質疑応答の場では、質問は可能な限り簡潔にすべきだ。質問したいことが複数あっても、実際の発言ではまず1つだけに限るべきだ。もしひとりの人が長い質問やたくさんの質問をしてしまうと、質問するだけでも長時間を費やしてしまう。回答も同じ時間を費やさなければならないとしたら、時間は2倍だ。5分も10分も質問する(という名のもとに自説を滔々と述べたり、否定や反論のしようがない主義主張を説明する)のは絶対に行ってはならない。他の参加者から質問や発言の機会を奪うことにもつながる。非常にもったいないし、残念なことだ。
大学の授業でも、似たようなことは起こる。特にゲスト講師を招いた特別講義では、講義後に質疑応答の時間を設けることが多いが、質疑応答への参加意欲が強すぎて空回りし、必要以上に長い質問をしてしまう参加者が少なくない。「本日は貴重なお話をお聞かせいただいてどうもありがとうございました。私から5つ質問させていただきます。まずはじめに...」などという質問は最悪だ。熱心なのは本当に素晴らしいことなのだが、質疑応答の場では控えるべきだ。そもそも一度に5つの質問を受けたら、最初の質問を忘れてしまい、うまく回答できないはずだ。どんなに優秀な講師であっても、だ。
この逆も頻繁に起こる。質疑応答の場でまったく質問や発言が出ないのは授業あるあるだ。立派な自説を述べたり高尚な主張を披露する必要はない、率直な質問や感想をカジュアルに発言すれれば十分だと教員が働きかけても、受講生からはまったく反応がないことがほとんどだ。ふだんの授業は別として、もし特別講義のゲスト講師に対しての質問や感想がまったくないとすれば、本当に悲しいことだ。
この授業では受講生に質問や発言の機会を多く設けた。質問がうまくできたこともあれば、何か変な感じの質問になってしまうこともあっただろう。自分の思いをうまく発言できたこともあれば、発言が途中でわけがわからなくなってしまったこともあっただろう。質問・発言そのものが難しい上に、授業というパブリック・スペースならば難しさは2倍にも3倍にもなる。体調によってもパフォーマンスが変わることがある。もちろん教員であっても常にうまく発言・質問できるとは限らない。
一般的に言って、質疑応答はとても難しい。大胆に言えば、質疑応答の場で100%完全無欠のコミュニケーションを行うことは不可能だ。その場ですべての問題が解決されることも絶対にありえない。上記で説明したとおり、質疑応答はなんでも自由に質問する場ではない。質疑応答にはルールやマナーがある。これらのことをぜひ覚えておいてほしい。今後もさまざまな場所で、さまざまな種類の質疑応答を行うことになる。そして、大学の授業を通じて練習を積み重ねていき、試行錯誤を繰り替えし、日々精進していってほしい。
全15回の授業を総合的に評価する。この授業での経験を今後の授業やゼミに生かすために、授業全体を建設的かつ批判的に振り返る。
言いたいことをまとめる、整理整頓してから話す、簡潔に話す、他人の意見を聞く、カッコよく話す、論証する、反論する...これらは非常に難しい課題だが、すでにすべて小学校で習っている。小学校で習ったことはとても重要だから、いま一度振り返ってみて欲しい。この意味で、小学生向けの教材やテレビ番組はとても役立つので、ぜひ見てほしい。しかも無償で見ることができるから、デメリットがない。
小学生として身に付けた知識やスキルをそのまま生かしてもよいのだが、大学生らしく適切にアレンジできるのが望ましい。だから、大学生として学び直し、アップデートを続けていく必要がある。少なくとも、高校生レベルまでアップデートすることは独力でもできる。この意味で、高校生向けの教材やテレビ番組はとても役立つので、ぜひ学び直してほしい。しかも無償で見ることができるから、デメリットがない。
なにごとにも当てはまるが、いったん覚えたことを忘れてしまうことはよくある。すでに身に付けたことをうまく再現できないこともよくある。練習や試行錯誤が必要だ。基本的には自己鍛練が中心となるが、仲間との切磋琢磨も欠かせない。日々精進あるのみだ。
研究会で行った報告・討論・質疑応答を総合的に評価する。この授業での経験を今後の授業やゼミに生かすために、研究会全体を建設的かつ批判的に振り返る。第7回授業も参照のこと。
以下の観点から、提出済みのメディア・コミュニケーション研究レポートの推敲・校正を行う。
「情報」「メディア」「コンピューター」「インターネット」「コミュニケーション」の視点からコンビニを観察し、スマホ写真・動画で記録する。
マルチコピー機の写真プリントサービスを、ターゲットユーザーとユーザビリティーの観点から考察する。
急速に拡大しているキャッシュレス決済ビジネスにおいてコンビニはどのような機能を果たしているのか。PayPayユーザーの大学生の視点から分析する。
スマホアプリと電子マネーを組み合わせたポイントサービスを大学生はどのように利用しているのか。セブンイレブンのヘビーユーザーの視点から分析する。
グローバル化の進展と外国人の就労はどのように関連するのか。静岡市と玉名市のコンビニを比較検討する。
店舗運営の省力化・機械化はコンビニに何をもたらすのか。コンビニの利用者と従業員の2つの視点から考察する。
店舗運営の省力化・機械化はコンビニに利益をもたらすとは限らない。ローソンのセルフレジ導入を事例に、省力化・機械化のデメリットを指摘する。
技術英語能力検定の過去問題の販売・購入を事例に、マルチコピー機を活用したコンテンツビジネスのメリットを分析する。
昨年度授業でも強調したが、スマホを授業やゼミでの活動に取り入れることは非常に簡単だ。既存のプレゼンテーション環境に、機種別の接続ケーブルを追加するだけでよい。教員は、レジメ・配布資料やパソコンと同様に、プレゼンテーションツールとしてのスマホ利用を実践してほしい。学生は、スマホ時代の若者として、教員をサポートしてほしい。
授業の内容や研究の分野にもよるが、パソコンよりもスマホの方がプレゼンテーションに適している場合がある。例えば、自分が撮影した動画や写真を手軽に扱えるのはスマホの大きな利点だ。デジカメとパソコンを利用する場合、データ転送・取り込みの作業が不可欠だ。スマホは保存済みデータを一瞬にして再生することができるので、ほぼ失敗がない。スマホ時代の若者はスマホ操作自体に習熟しているので、動画・写真再生とウェブページ表示の切り替えなども支障なく行えるだろう。動画を編集したり写真にエフェクトをかけるためのスマホアプリも、スマホ時代のプレゼンテーションに取り入れたい。
メディア・コミュニケーションの領域についていえば、近年は、パソコンではアクセスできないウェブページやスマホ利用が前提となっているサービスが存在していることに言及しておきたい。例えば、QRコード決済サービスやGPS位置情報ゲームを紹介したい場合、パソコンでサービスを利用すること自体が不可能だ。LINEやTikTokなど、サービスの特徴や面白さをパソコンでは伝えられないものも増えている。スマホをプレゼンテーション機器として利用すれば、実際の操作やユーザー体験を考慮したより直観的でハンズオンなプレゼンテーションを行うことができるはずだ。
もちろん、パソコンとは違った取り扱いの難しさがスマホにはある。意図に反して電話やメッセージの着信通知が表示されてしまう、バッテリーが切れてしまう、などのトラブルが想定できる。充電ケーブルを併用する、機内モードや通知非表示機能を活用するなど、プレゼンテーションの準備と練習を十分に行う必要がある。授業でのプレゼンテーションに大失敗した青山を反面教師としてほしい。
以下の2編の映画を取り上げ、科学技術と人間の関わりについて自由に議論する。
例えば、以下について議論を展開することができるだろう。もちろん、科学技術と人間の関わりについてのトピックを自由に設定してもよい。
研究資料として参照できるのは以下の6つとする。1と2は本学附属図書館で閲覧できる(貸出・館外持出不可)、3から9は青山研究室で閲覧・貸し出しできる。
以下のテレビ番組を視聴し、日本におけるeスポーツの発展の可能性について自由に考察する。
以下の論点について直感的に「はい」「いいえ」で回答し、その理由を説明してみる。
参考までに、青山の回答は以下のとおり。
テレビ局は数多くのドキュメンタリー番組(調査報道番組を含む)を制作・放送している。静岡県内で定期的に放送されている番組には以下の2つがある。いずれも長い歴史と伝統を持つ良質な番組である。
伝統的に、ドキュメンタリー番組は深夜番組として報道されることが多い。また、再放送されることが少ない。テレビ番組を定期的に長時間録画できるHDDレコーダーが普及しているとはいえ、娯楽性の少ないこれらの番組を見ることは心理的なハードルも高い。大学生の中にはテレビを自宅に所有しない者も増えてきた。ドキュメンタリー番組を見る機会はますます減っていると言える。
ところが、状況が少しずつ変わりつつあるようだ。上記の授業メモに書いたように、ドキュメンタリー番組の中にはインターネットで公開されているものがある。『テレメンタリー』は本放送のおよそ一週間後にYouTubeで公開されるようだ。また、無償で視聴できるWebニュースチャンネル「Abema Newsチャンネル」でも放送されるものがあるようだ。『NNNドキュメント』は本放送後にHuluでも配信されるが、無償で視聴できないため、必ずしも気軽に視聴できるとは限らない。
この授業の受講生を含めて、大学生の多くはお金がない。テレビやレコーダーを購入するための十分な資金はない。もし資金はあっても、ほかに支出すべきものがある。ドキュメンタリー番組を見るためだけにお金を使う必要はない。すでにネットで合法的に公開されていて比較的気軽に見ることができる番組を見れば十分だ。TVerで公開されている番組だけでも、十分に価値がある。心の中で「ありがとう」とつぶやいてから見てほしい。逆に言うと、ネットで無償で見られる番組を見ないのは損だ。幸か不幸かわからないが、「自宅にテレビがないから見られません」という言い訳が通用しない場合があることも知っておこう。テレビ番組を見るように教員から助言を受けたら、覚悟を決めてちゃんと見るように。
以下の映画を鑑賞し、国際的な人権問題ついて自由に議論する。
以下の映画を鑑賞し、科学技術と人間の関わりについて自由に議論する。
授業で扱ったトピックについての新聞・雑誌記事を講読し、現代社会とメディアについて自由に考察する。
以下のウェブページを出発点として、地方新聞の存在意義、地域社会におけるローカルメディアの役割について自由に考察する。
日本で標準的な学校教育を受けた大学生ならば、小学校から高校までの間にいろいろな種類の文章を書くことを強制されてきたと思う。例えば、夏休みの宿題のひとつとして読書感想文を書いたり、高校・大学入試のための小論文を提出したことがあるだろう。大学でもさまざまな機会に文章を書くことが強制される。授業の期末課題としてレポートを提出することもあるし、就職活動で自己PRのためのプレゼンテーション資料を作成することもあるだろう。本学部では卒業論文提出が必須課題だから、これが最終かつ最大かつ最難関の課題になる。
読書感想文や小論文を書くことはとても難しい課題だったはずだ。文章を書くこと自体が難しく、とても面倒くさいことで、できるならばやりたくない課題だったと思う。大学生がレポートを書くこともとても難しい課題だ。卒業論文なら言うまでもない。大学生になったら突然に文章をうまく書くことができるわけではない。文章を書くことの面倒くささは大学生になってもまったく変わらない。一方で、レポートや卒論をせっかく提出するのだから、それなりによい成績を納めたいと思うはずだ。だから、単に提出するためだけではなく、よい成績を納めるために、より良い文章を書けるようになるのが理想だ。
英語をうまく話すために練習する、ダンスが上達するように練習する、というのとまったく同様に、文章を上手に書くためには練習が必要だ。より良い文章を書く、わかりやすい文章を書く、読みごたえのある文章を書く、自分の意図を的確に相手に伝える文章を書く...いずれも練習が必要だ。逆に言うと、練習をすればより良い文章やわかりやすい文章を書くことができるようになる。練習をすると文章が読みごたえのある、相手に伝わるものになっていく。以前にも書いているのだが、身の回りの印刷物をよく読む、よいお手本と悪いお手本をたくさん見る、ということを地道に積み重ねていってほしい。
前回授業のメモに書いたとおり、研究情報収集の王道は専門書や学術書を読むことだ。だが、それ以外の方法を使ってはならないというわけではない。専門書や学術書はそもそも読むこと自体が難しい。内容が難しくて理解できないこともあるだろうし、専門用語や学術用語が多用されている文章が分かりにくくいということもあるだろう。だから、専門書や学術書を読むには補助教材のようなものが必要だと思う。本学部での勉強・研究に関することであれば、テレビのニュース番組を通じて事実問題についての知識を深めることは必須だと思う。映画やテレビ番組を見ることもぜひおすすめしたい。
ドキュメンタリーやノンフィクションだけでなく、フィクションも高い価値がある。どのような映画やテレビ番組も人間の生活や社会の様子を反映しているから、映像や語りから何かしらの意味が読み解けるはずだ。丹念な取材や詳細な調査にもとづいて制作された映画やテレビ番組は、専門書や学術書に勝るとも劣らない貴重な情報源になるはずだ。しかも、1時間から2時間という比較的短い時間で効率よく、しかも受け身的に情報収集できるのはコスパもよい。専門書を読み、関連する分野や内容を扱う映画やテレビ番組を見て、もう一度専門書に立ち返ってみる、というのはどうだろうか。専門書の著者と映画・テレビ番組の制作者の意図を読み解くことができたら最高だ。
もちろん言うまでもないが、良質な映画やテレビ番組を探し当てるのは非常に難しい。学術書や専門書を検索する時に「ブックガイド」「必読書集」を活用するのとまったく同様に、「映画ガイド」「必見映画集」をぜひ活用してほしい。参考資料として、ジェンダーを巡る社会問題を理解するための映画ガイドを授業時間中に配布した。書店やコンビニで気軽に購入できる雑誌には定期的に映画を特集するものがある。専門書や学術書を読み解くための補助教材としてぜひ活用したい。
アニメ『ゆるキャン△』を特集した以下のムックを参考に、コンテンツ産業がもたらす経済効果について自由に考察する。
以下の新聞記事も参照すること。
研究情報は専門書や学術書だけから得られるのではない。自分の身の回りにあるものなんでもが研究資料となりうる。新聞、雑誌、テレビ・ラジオ番組、映画、SNSメッセージ、インターネット動画、コミック、音楽、テレビ・ラジオ・ネット広告、新聞折り込み広告、フリーペーパー、パンフレット、同人誌、政府刊行物、行政文書、企業・団体・個人のウェブサイト...そこから意味ある何かが得られるのであれば、研究資料として使ってよい。レポートや論文の参考文献リストに加えてよい。そこから意味あるものが何も得られないのであれば、それは研究資料ではない。レポートや論文の参考文献に加えてはならない。
...とは言え、研究情報収集の王道は専門書や学術書を読むことだと思う。わけが分からなくてもいいから、古典や入門書を自己流でテキトーに読めばいいと思う。図書館に蔵書があれば無料で読むことができるので、コスパは最高だ。一方で、適切な古典や入門書を探し出すことは簡単ではない。ぜひ図書館で「ブックガイド」「必読書集」を手に取ってほしい。もちろん、本を読むこと自体が面倒くさいことで、自分が必要としている本に巡り合うことも一期一会だから、コスパは最低だ。苦労と辛抱の地道な積み重ねが必要で、不屈の闘志や精神力も欠かせない。少しだけ覚悟して臨んでほしい。
参考資料として、ヒップホップ文化を理解するためのブックガイドを授業時間中に配布した。書店やコンビニで気軽に購入できる雑誌も情報源としてぜひ活用したい。
常に最新の専門書や学術書を参照したいのであれば、新聞に掲載される書評・書籍紹介を利用するとよい。多くの新聞は毎週日曜日に書評・書籍紹介を掲載している(日本経済新聞は土曜日の朝刊)。もちろん、新刊を参照すればよいというものではないからそのつもりで。
以下のテレビ番組を視聴し、パブリック・スピーチとプレゼンテーションについて自由に考察する。
以下のテレビ番組と新聞記事を参考に、研究倫理について自由に討論する。
大学生の場合、100点満点で最上級の評価を得たいから剽窃・盗用を行うのではないか、と想像する。ところが本学の場合、100点満点でなくても最上級の成績が得られる。最上級の成績を得るためには独力で90点を狙える力があれば十分だ。だから、剽窃・盗用をして100点満点を取るという考えを捨てた方がよい。最上級の成績を得られなくてもよいと、消極的に妥協することもできるだろう。80点で二番目、70点で三番目の成績が得られるのだから、あえてリスクを冒して剽窃・盗用する必要はない。もっと消極的に妥協して、最低限度の成績で合格しさえすればよいと割り切ることができるのであれば、独力で60点を獲得できればよい。いくら難しい授業であっても、本学の学生ならばこれくらいは独力でクリアできるのではないか。
本学の場合、60点に満たないと不合格となる。その成績評価の記録も残る。これを取り返しのつかない失敗、一生の汚点、黒歴史...などと考えてしまうことを止めてしまえばよいと思う。なんとしてでも失敗・汚点・黒歴史を避ける必要がある、そのためには剽窃・盗用も辞さない、という心理状態になることを避けた方がよい。そもそも、授業を再履修して合格すればチャラになる。再履修は事実上無料だからコストの追加負担はゼロだ。青春の一ページ、若気の至り、働き始めても夢に出てくる苦い思い出...などと記憶に刻むだけにとどめておきたい。剽窃・盗用に人生を賭けるとスリル満点でわくわくするかもしれないが、そのわくわくやエネルギーを、人生のレールを敷いてきた親への反抗や恋愛をめぐる人間関係の駆け引きなど、別のターゲットに向けてほしい(もちろん、他人に迷惑をかけないように)。
成績評価の基準、不正に対する処分、学生が受ける賞罰...その他いろいろは本学の公式資料を参照すること。
本学の実践を出発点として、社会的関心が高まっている「フェムテック」について自由に議論する。
以下も参照すること。
自己紹介シートに記載した内容をふまえて、1分間の自己紹介を行う。
この授業の受講生には、ごく一般的な書籍をなるべくたくさん読むことを推奨したい。授業の内容や教員の意向とは関係なく、自分自身の興味関心を深めるために、自分勝手に読書をすればよい。いつかやがて、グローバル社会への新たな気づきを得ることができるはずだ。コストパフォーマンスは悪いが、もし授業内容とのつながりが得られたら儲け物だ。
青山が最近読んだ書籍を1冊紹介する。これは学術書ではなく、日本のプロ野球チームを描いたノンフィクション作品である。単に書名だけを見ると、国際関係学部での学びに役立つ研究情報は何ひとつ得られないと思うかもしれない。だが、この書籍からは大いに学ぶところがあると思っている。特に「第11章 トニ・ブランコ/真の渇望」は、多国籍企業のマネジメント、労働力の国際移動、個人レベルでの異文化理解という観点で興味深く読むことができた。しかも、描かれている物語がとても面白く、気持ちよく読み進めていくことができた。
コンビニや書店で気軽に購入できる以下の雑誌・ムックを取り上げ、出版業界のビジネスモデルについて自由に議論する。
以下の資料を講読し、19世紀半ばのヨーロッパで情報通信ネットワークが国際規模で発展したことを理解する。
大学生活の文脈に限って言えば、誰かの話を聞く時、資料を読む時、映像資料を視聴する時...メモを取るのがよい。自分自身の理解を助けるために、理解をより深めて広げていくために、メモを取るのがよい。メモを取るだけでもよいが、資料やメモを整理整頓してグループ分けしたり、時系列順に並べ替えたり、図表にまとめたりできるのがより理想的だ。これらは小学校での勉強ですでに経験していると思う。だから、昔を思い出して、テキトーにやってみたらよい。もちろん、何の興味もなく単に義務的に話を聞いたり資料を読まなければならない時がある。その時は話は別だ。時間と資源と労力の無駄遣いを避けるためにも、メモを取る必要はない。もっとクリエイティブなことに専心すればよい。
資料やメモの整理整頓やまとめ方には高尚かつ高級な方法があるかもしれないし、広く一般に普及しているアカデミックな方法があるかもしれない。しかし、その方法を学ばなければ整理整頓やまとめができないというわけではないのだから、まずは自己流でやってみたらよい。少なくとも、メモの取り方は他人からとやかく言われる筋合いではないと思うので、まずはテキトーにやってみるのがよい。パソコンやスマホでデジタルメモするのか、紙とペンでアナログメモするのか、自分勝手に決めてよい。メモを取らずに何の創意工夫もなく漫然と資料を受け入れるより、はるかに健全だと思う(たとえコスパが悪くても)。
本日の授業では、8冊の雑誌・ムックを取り上げて、出版業界のビジネスモデルについて(テキトーかつ自己流に)議論した。8冊の書誌情報は上記のとおりだが、豪華付録付きの雑誌がすべて宝島社のものだということにとても驚いた。このことは、雑誌を購入した時点でも、授業時間中にもまったく気がついていなかった。書誌情報をリスト化してみてはじめて気がついた。そして、教員としての浅はかさにもとても驚いた。
以下を出発点に、国政選挙をめぐる情報バリアフリーの推進について自由に議論する。
学内で配布されている以下の小冊子も参照すること。
青山の自己紹介を読み、3つのトピックのタイトルを考える。議論の要点は以下のとおり。
上記をふまえて、青山が最終的に決めたタイトルは以下のとおり。
広告、ポスター、チラシ、説明書、指示書、通達文書、契約書...自分の身の回りにある印刷物をちゃんと読むこと。学内で受け取る配布物や掲示物をちゃんと読むこと。不必要な印刷物を受け取ったら、捨てる前にちゃんと読むこと。官公庁や大企業が作成・配布した印刷物を受け取ったら絶対に読むべきだ。そこには、(たぶんあなたより)優秀な人材が考えに考え抜いたメッセージが込められているはずだ。そんなすごい価値がある(かもしれない)ものを読まないのは本当にもったいない。多額の税金が投入されているとしたらなおさらだ。人材と資源と資金の無駄遣いを少しでも減らす意味でも、とても重要で意義あることだ。
この授業の目的は「授業やゼミで必要となるスキルや考え方を身に付ける」ことだ。この授業での実践を通じて、発表資料を効率よく作成したり、論文をうまく書き上げることができるようになればよいと思っている。しかし、言うまでもないが、授業時間中の実践だけでは絶対に成し遂げられない。教員が(すくなくとも青山が)教えられるのはごく限られたことに過ぎない。スポーツの上達に自主練習や自己研鑽が必要だ。まったく同様に、資料・論文作成の上達にも自主練習や自己研鑽が必要だ。もちろん、どういう練習を行い、何をどのように研鑽したらよいのか、正解はない。大変申し訳ないのだが、少なくとも青山は正解を知らない。ただし、経験上言えることがある。よいお手本と悪いお手本をたくさん見る必要があるということだ。
何でもいいから、えり好みせずに、自分の身の回りにある印刷物を、ある程度時間をかけてじっくり読んでみる。「ちゃんと読む」の「ちゃんと」は根拠のないテキトーな自己流でまったく問題ない。誰に教わるでもなく、まずは自分勝手に読めばよい。少し面倒くさいが、少しずつこつこつとやっていけばよい。何が書いてあるのか、何を伝えようとしているのか、自分の心に響いてくるのか、何か間違っているのではないか、もっと適切な表現があるのではないか、自分にも書くことができそうだ、昨日読んだ書類となんとなく似ているな、自分だったらああやって書いてみようかな...ふだん考えないことを1つか2つ考えるだけでよい。わからない言葉があったら意味を調べる、見たことはあっても説明できなさそうな言葉があったら意味を調べる、というのはすでに小学校で習ったことだ。
以下を出発点に、日本語を母語としない人とのコミュニケーションについて自由に議論する。
以下も参照すること。
以下を視聴し、バラエティ番組について自由に議論する。
以下も参照すること。
本学では別に珍しいことでも何でもないが、この授業の受講生には留学生がいる。大多数の日本人学生は、留学生との意思疎通や人間関係の構築が簡単ではないことをぜひ体験してもらいたい。以下、私の経験を書いておく。
約十数年前、中国からの留学生とお話しする機会があった。その学生は日本語を流ちょうに話すことができず、日常会話も通じないことが頻繁にあった。その学生との会話の中で、日本の新幹線について質問された。当時、東海道新幹線に新型車両N700系が導入された直後だった。その学生からの質問は「新幹線はゴミで作られていますか?」というものだった。私は「そんなことは絶対にありません」と即座に回答した(そして、内心腹立たしく思った)。会話が弾まなかったことは言うまでもない。
もちろんその学生の質問の意図は異なるところにあった。「新幹線の部品には廃材・デブリが含まれているのですか?」ではなく、「新幹線にはリサイクル部材が利用されているのですか?」「新幹線は部品のリサイクルを考慮して製造されているのですか?」というのが本当の意図だった。このことに私が気がついたのは、数年後だった。数時間後や数日後ではなく、数年後だった。取り返しのつかないことをしたと思った。今思えば、日本に留学するくらいだから、日本の最新事情についても多くのことをその学生は知っていた。テレビやインターネットを通じて、日本の新幹線の最新技術について知ったのだろう。そのことを確認するために、思い切って私に質問をしたに違いない。大変に申し訳ないことをしたと、このことを今でも思い出すことがある。
以下のトピックから3つを選択し、自己紹介シートに記載して、電子メールの添付ファイルで青山に提出すること。