雑談 国会議員の呼称について

 2014年9月28日、「おたかさん」土井たか子氏が同月20日に亡くなったというニュースが報じられた。このニュースに接して、模擬授業の冒頭で取り上げようと思っていたトピックを約1年ぶりに思い出した。以下、つれづれに書いてみることにする(以下、敬称略)。


 土井は元衆議院議員で、1969年の初当選から12期にわたって議員を務めた。非常に有名な議員だったので、模擬授業の受講生の両親の世代(おそらく40〜50歳代)なら土井のことは絶対に知っているはずだ。また、土井は日本で初の政党党首に就任した女性としても有名だ(86年、日本社会党委員長に就任)。90年前後には「土井ブーム」「マドンナ旋風」「おたかさんブーム」が巻き起こった。土井は、男性中心の政界に進出する女性のアイコンのような存在だった。「山は動いた」「やるっきゃない」という土井の発言は、マスメディアが何度も繰り返し報じ、流行語のひとつとなった。実際にこの発言の様子をニュースで見たことを覚えている人も多いと思う。

 土井は衆議院議長を務めた初の、そして、現時点で唯一の女性でもある。土井は1993年8月6日に衆議院議長に就任した。このエッセイを書いているのは2014年10月だが、先の9月3日に成立した第2次安倍改造内閣が女性登用を積極的に推進し、第1次小泉内閣に並ぶ5人の女性閣僚が誕生したことが大きな話題となった。しかし、土井の衆議院議長就任は、それ以上の意味を持つ、日本の憲政史の最も重要な出来事のひとつであることは間違いない。三権の長を務めた女性はこれまでに、日本には土井と扇千景の2人しか存在しないのである(自由民主党の扇(本名、林寛子)は2004年7月30日に参議院議長に就任した)。

 衆議院議長としての土井は、通常「君」付けで呼ぶ議員を「さん」付けで呼んだことでも注目を浴びた。通常、国会では、男性であっても女性であっても、議員は「君」付けで呼ばれる。このことは国会のテレビ中継を見たことがある人ならすぐに思い出すことができるだろう。もちろん、議事録にも議員の名前は「君」付けで記載される。土井は第127回国会で衆議院議長に選出されたのだが、選出されて以降、議長を退くまで、一貫として議員を「さん」付けで呼んだ。私はこの様子をリアルタイムで見聞きしているのだが、一番印象的だったのは、内閣総理大臣指名選挙の開票結果を受けて、「右の結果、細川護煕さんを、衆議院規則第十八条第二項により、本院において内閣総理大臣に指名することに決しました」と宣言したことだ。これは細川総理大臣の指名と同時にいわゆる「55年体制」が崩壊した瞬間であったが、それ以上に、総理大臣が「さん」付けで指名されたことに非常に大きな驚きと違和感を持った。

 衆議院議長として議員を「さん」付けで呼んだのは土井が初めてであるのだが、それでは、そもそも国会議員はなぜ「君」付けで呼ばれているのだろうか。また、いつからそのように呼ばれているのだろうか。衆議院にも参議院にも「先例」というものがあり、さまざまなルールや決まり事が「先例録」にまとめられている。先例録は言わば、国会議員の業務マニュアルだ。残念ながら、衆議院の先例録はインターネットでは公開されていないが、参議院のものはインターネットで全文を閲覧することができる。最新版の平成25年版によれば、議員は議場・会議室ではお互いに敬称を使用するとし、慣例として「君」の敬称を使用することが第一の紀律となっている(他の紀律には、上着を着用する、議員バッジを身につける、許可なく撮影・録音をしてはならない、などがある)。

 この紀律が守られているかどうかを確認するために、議員の実際の発言を調べてみることにする。国会での議論は、衆議院は第174回国会(平成22年1月)から、参議院は第184回国会(平成25年8月)から、審議の様子を記録した動画がインターネットで公開されている。動画を見れば明らかだが、議長は議員を「君」付けで呼んでいる。ただし、すべての場合に「君」付けかと言うと、必ずしもそうではない。ある委員会では、男性の議長が女性議員を「君」付けで呼んで発言を促したが、発言までに少しだけ間が空いたので、発言をさらに促すためにその女性議員を「さん」付けで呼んでいた。また、インターネットでは国会のすべての会議の議事録を閲覧することができる。例えば、(私が生まれた)昭和45年の第63回国会の衆議院本会議の議事録によれば、議長は議員を「君」付けで呼んでいる。そして、議事録には発言者の氏名が「君」付けで記載されている。同様に、昭和22年の第1回国会でも議員は「君」付けで呼ばれている。同国会第2号議事録によれば、女性議員の氏名も「君」付けで記載されている。どうやら、日本国憲法のもとで召集された国会では、第1回から「君」付けで議員を呼ぶことがルールとなっているようだ。ただし、第1回国会の議事録はすべての発言がいわゆる「話し言葉」で記録されているわけではないようなので、実際の発言が「君」付けであったかどうかは必ずしも明確には読み取れない。

 では、大日本帝国憲法のもとでの帝国議会の議事録では、議員の呼称はどのように記録されているのだろうか。帝国議会の議事録はすべてインターネットで閲覧することができる。例えば、最後の帝国議会(第92回帝国議会、昭和21〜22年)の衆議院本会議第1号議事録によれば、女性の「勅語奉答文起草委員」の氏名が「君」付けで記載されている。一方、同帝国議会の貴族院本会議の議事録にざっと目を通してみたが、女性の氏名らしきものを見つけることができなかった。もちろん、帝国議会には女性議員は存在しないし、当時は女性の直接的な政治参加がほとんどなかっただろうから、これは当然の結果なのかもしれない。

 さらに大きくさかのぼって、そもそも第1回帝国議会(明治23〜24年)では議員はどのようにお互いを呼び合っていたのだろうか。それ以前はそもそも国会・議員という概念が存在しないし、先例も一切存在しないことになる。だから、第1回帝国議会では何らかのルールを設ける議論をしているのではないか、というのが私の予想だ。

 第1回帝国議会の衆議院本会議第1号議事録(明治23年12月2日)を見るとすぐにわかるのだが、今日の国会と同様に、発言者の氏名が「君」付けで記載されている。興味深いのは、議長以外の議員には番号が付記されていることだ(ちなみに、足尾鉱毒事件に関する天皇への直訴で有名な田中正造は277番である)。一方、貴族院本会議第1号議事録(明治23年12月4日)を見ると、貴族院議員には番号が付記されていないことがすぐにわかる。また、爵位を持っている発言者の氏名は「伯爵山田顕義君」「侯爵蜂須賀茂韶君」のように記載されている(ちなみに、初代議長は「伯爵伊藤博文君」である)。両院での氏名表記の違いも興味深いのだが、この後は衆議院に話題を限定する。

 議事録を読み進めていくと、議事進行の開始直後に実施された全院委員長選挙に際して、議員の点呼に関する議論がなされていたことがわかる。議事録1ページ目によれば、中島信行議長は議院規則に従って議員を番号で点呼しようとしたが、直後に、大江卓が「自分には姓名があるので番号では呼ばないでほしい」と発言し、番号での点呼に異を唱えている。この大江の意見に対して中島は、「157番から是非姓名で点呼をしろと...」のように、大江のことを番号で呼んでいる。議事録からは、大江に賛同する議員もいれば(野口褧、200番)、中島に賛同する議員もいる(安田愉逸、208番)ということも読み取れる。安田によれば、以前の選挙でも番号での点呼で問題はなかったということだ。この後、採決の結果、番号での点呼が賛成多数で承認され、番号での点呼が実施されることになる。この点呼の後、全院委員長選挙が行われるのだが、この選挙の決選投票を行う際の点呼を番号で行うことの是非についての議論がなされている。なお、本会議の最後、委員長に当選した島田三郎は、番号ではなく「君」付けの姓名で選出されている。

 議事録全8ページを読んだ率直な感想だが、規則によれば番号での点呼が定められているらしいのだが、この規則は必ずしも議員には評判がよくなかったようだ。同時に、議長も議員のことを番号ではなく「君」付けで呼んでいることもあるし、議員同士でもお互いを番号で呼んでいる場合もあれば、お互いを「君」付けで姓を呼んでいる場合もある。つまり、どのようにお互いを呼び合えばよいか混乱があったのではないだろうか。想像するに、あまり親しい間柄ではないとはいえ、姓名がある議員を番号で呼ぶのは余所余所しく違和感があると感じたのではないか。また、議員を必ず番号で呼ばなければならないとすれば、発言者が自分の番号を名乗らなければならないとか、議員一覧を参照するなどして番号を常に覚えておかなければならないとか、とにかく面倒くさかったのではないか。私が当時の議場にいたとしたら、番号呼称のルールはかなり鬱陶しく腹立たしいと思ったに違いない。

 ここでふと思ったのだが、帝国議会以前にも地方自治体で議会が設置されているので、さまざまに選挙活動や政治活動が行われていたはずだ(先述の安田の発言からも読み取れる)。そうすると、議員の呼称に関する先例は、地方議会や政党の会議などでの慣例にもとづいて決められたのかもしれない。このエッセイを書いている時点では詳細に調査をしていないので、関心がある人はどうか調査をしてもらいたい。また、帝国議会の議院規則についてもまったく検討を行っていない。少なくともこの2点において、これまでにつれづれに書いてきたことがらは学術的な根拠はまったくない非常にいい加減ものであることをお詫びしておかなければならない。


 この雑談を書いていて、小学校から大学院までの自分の学校生活のさまざまなことがらについても思いをはせた。

 1993年(平成5年)、私が大学院生時代に受講したとある講義のT先生は当時70歳くらいだったと思うが、45歳くらいの同僚女性教員を、直接的にも間接的にも、「W君は...」「N君を...」などと「君」付けで呼んでいた。W先生とN先生はお互いを「さん」付けで呼んでいた。大学教員としての私は、日常会話では同僚から「君」付けで呼ばれることもあるが、「さん」付けで呼ばれることが圧倒的に多い。会議などの公的な場では、ほとんどの場合「先生」と呼ばれる。私は、年齢を問わず、公私を問わず、同僚教員を「先生」と呼ぶ場合がほとんどだ。男性教員であっても「君」付けで呼ぶことは絶対にないし、ましてや、女性教員を「君」付けで呼ぶなどということは絶対にあり得ない。同僚を「さん」付けで呼ぶことは、私にとっては心理的に大きな抵抗がある。学生のことは「さん」付けで呼ぶことを心がけているが、日常会話で雑談ができるようになったごくごく一部の男子学生を「君」付けで、女子学生を「ちゃん」付けで呼ぶこともある。

 私は1970年(昭和45年)生まれだが、小学校から高校までの学校生活では、クラス名簿は「男・女」の順が当たり前だった。姓が「あ」で始まる私は名簿順で2番になったことが2回しかない。「あおき」という男子生徒がいた2年間だけだ。「あいかわ」という女子生徒がいた時は、当然だが、私が1番だった(あいかわさんは全男子生徒の次の順番だったから、25番目くらいだっただろう)。記憶が薄れているが、小学校から高校までの12年間、教員から「さん」付けで呼ばれたことはないのではないかと思う。男性教員からは呼び捨て、女性教員からは「君」付けだったように記憶している。

 土井が衆議院議長を務めた1993年前後、「君・さん」の使い分けに関する「ジェンダー」の観点からの議論が多くなされていたのを記憶している。今から振り返れば、私は当時大学生・大学院生だったので、この議論が自分の生活にどのように影響するのかをほとんど理解していなかった。大学生・大学院生にとってはクラス名簿はほとんど無縁だし、企業で働いていたわけでもなく、セクシュアリティやジェンダーについての問題は自身にとってはさほど大きな問題ではなかったからだ。もちろん、自分自身の周りにさまざまな性差別やあまり意味のない男女の区別があったことは理解していたが、自身にも関係する身近な問題としては十分に認識していなかった。また、現在に至るまで子育てもしたことがないから、例えば、小学校や中学校の教員が生徒をどのように呼んでいるかというような、ジェンダーの視点から見た学校生活の実態についてもまったくと言っていいほど知識がない(恥ずかしいことであるが)。

 ちなみに、土井氏が活躍した1990年前後の日本社会を象徴するキーワードとして、世間に迷惑をかける厚かましい中年女性を意味する「オバタリアン」がある。オバタリアン旋風が巻き起こった1989年の「新語・流行語大賞」では、流行語部門金賞の「オバタリアン」以外にも、「セクシャル・ハラスメント」(新語部門金賞)、「Hanako」(新語部門銀賞)、「DODA・デューダ」(新語部門銅賞)、「濡れ落葉」(新語部門表現賞)、「24時間タタカエマスカ」(流行語部門銅賞)が各賞を受賞している。いずれのことばも、現在の男女共同参画社会を分析し理解する上で非常に重要なものだ。当時のテレビCMで頻繁に耳にした「24時間タタカエマスカ」というキャッチコピーのもとに販売されていた栄養ドリンクが、26年という時を経て「24時間戦うのはしんどい」「3、4時間戦えますか」というキャッチコピーで販売されるようになったのも非常に興味深い。また、当時新語として登場したハラスメントは、現在ではセクシャルなものだけではなく、パワー、アカデミック、モラル、ジェンダー、ドクター、アルコール、マタニティ、スメルなど、公的にも私的にもさまざまな領域へと広がってきていることは、この模擬授業の受講生の多くが実感しているだろう。これからどのような「ハラスメント」が新たに定義づけされていくのか注視していってもらいたい。

2015年1月10日追記

 国会議員の敬称・呼称が「君」だということは上記のとおりだが、実際に衆議院と参議院のウェブサイトを見てみると興味深いことがわかる。衆議院議員の一覧には、すべての議員の氏名が「君」付けで表記されている。一方、参議院議員の一覧は「君」付けではなく、単なる氏名の一覧となっているのだ。ちなみに、参議院議員の50音順名簿の一番目は「アントニオ猪木(猪木寛至)」だが、国会議員は本名ではない芸名やリングネームでも活動ができることがわかる。旧姓を使用している議員がいることも、読みにくい名前をひらがなやカタカナで表記している議員がいることもすぐにわかる。コンピューターでは扱いにくい漢字を使用しなければ正しく氏名を表記できない議員の一覧を、「正字」を使用して「正しい氏名」を記載するという工夫もなされている(例えば、「わたなべ」「やまざき」などだ)。これらの慣例・ルール・配慮が衆議院のウェブサイトからは読み取れないのも非常に興味深い(両院でなぜ異なるのかという理由が、残念ながら、私にはまったく理解できない)。

 また、参議院議員の50音順名簿を詳細に分析するとわかるのだが、この名簿は正しい50音順ではないように思われる。「あ行」は「あんとにお」で始まり、次に「あだち」、さらに「あいはら」「あいち」と続く。学校生活でなじみ深い50音順では「あいち」「あいはら」「あだち」...「あんとにお」となるはずだ。その後の「い」「う」も同様に違和感があるが、「え」はしっくり収まっているように思える。ちなみに、アントニオ猪木の「アントニオ」は「なまえ(下の名前、名)」であって「名字(上の名前、姓)」ではない。だから、参議院議員の50音順名簿を作成するとすれば、猪木議員を「猪木アントニオ」と記載するか、本名の「猪木寛至」を用いるのが厳密かもしれない。しかし、このようにしてしまうと蓮舫議員のような芸名・通名(しかも、「下の名前」だけ)を使用している議員の扱いに支障が出るかもしれない。1986年2月6日にプロレスラー前田日明によって投げかけられた「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか?」という疑問をあらためて投げかけてみたい。